鳥を見る。
いまでは「バードウォッチング」として親しまれているその行為も、かつては当たり前ではありませんでした。
鳥は、見るものではなく、捕まえるもの。
飼うもの。
時には、食べるもの。
そんな時代に、野外の鳥をそのまま見て楽しみ、守っていこうという考え方を広げてきたのが、日本野鳥の会です。
今回お話を伺った日本野鳥の会大阪支部は、1937(昭和12)年に設立された阪神支部を前身に持つ、90年近い歴史のある団体です。
大阪という都市の中で、鳥たちはどのように生きているのか。
そして、鳥が来られる場所を未来に残すために、いま何が必要なのか。
日本野鳥の会大阪支部の納家 仁(なや ひとし)さんにお話を伺いました。
1:鳥を「捕まえる」時代から、「見て楽しむ」時代へ
―日本野鳥の会大阪支部さんが設立された背景や、これまでの歩みについて教えてください。
納家さん:日本野鳥の会大阪支部は、来年で90年になります。
日本野鳥の会自体は1934(昭和9)年にできました。
その後、1937(昭和12)年に阪神支部ができ、それが大阪支部の前身になります。
当時は、鳥を見て楽しむという文化がほとんどありませんでした。
鳥は捕まえて食べたり、狩ったり、飼ったりする対象だったんです。
大阪も、昔は「飼い鳥」を楽しむ人が多く、メッカだったと言われています。
そういう時代に、鳥を捕まえるのではなく、野外で見て楽しもうという考え方が広がっていきました。
大阪支部も、その考え方を地域で広げていくために生まれました。
―長く活動を続ける中で、大切にしてきた考え方はありますか?
納家さん:やっぱり、鳥を好きな人を増やすことです。
鳥を見ることを楽しむ人が増える。
鳥のことを知る人が増える。
それが、自然を守る力になると思っています。
探鳥会で鳥の種類や鳴き声を知ってもらったり、望遠鏡で実際に姿を見てもらったりする。
そうやって、鳥に関心を持つ人を増やしていくことが、野鳥の会の大きな役割だと思っています。
2:探鳥会、調査、保護活動。大阪支部が続けてきたこと
―現在、大阪支部ではどのような活動を中心に行われていますか?
納家さん:大きく言うと、探鳥会、調査活動、保護活動、普及活動です。
探鳥会は、大阪府内の都市公園、河川、湾岸部などで行っています。
大阪城公園、万博公園、大泉緑地、淀川、南港野鳥園など、場所によって見られる鳥も違います。
調査活動では、大阪湾岸の埋立地などで、どんな鳥が来ているのかを記録しています。
この記録は、保護活動にもつながります。
「ここにこういう鳥が来ている」というデータがなければ、その場所を守る必要性を伝えることができません。
―保護活動として、特に力を入れていることはありますか?
納家さん:今、力を入れているのは、大阪湾岸でのネイチャーポジティブの取り組みです。
生物多様性が低下し、身近な鳥であるスズメやツバメも減ってきています。
特に渡り鳥や水鳥の減少は大きいです。
大阪湾は、渡り鳥にとって重要な場所です。
でも、開発によって鳥が休んだり、餌を取ったりできる場所が少なくなっています。
このままでは、渡り鳥が立ち寄れる場所がなくなってしまう。
そういう危機感があります。
3:年間220回。鳥を好きになる入口としての探鳥会
―大阪支部の探鳥会には、どのような特徴がありますか?
納家さん:開催回数、参加者数が非常に多いことです。
年間で220回ほど探鳥会を開催していて、参加者は延べで5,000人を超えています。
これだけ多く探鳥会を行っている支部は、なかなかないと思います。
―初心者の方にも楽しんでもらうために、工夫されていることはありますか?
納家さん:初心者向けの探鳥会も行っています。
初めての方は、鳥の名前も分からないし、鳴き声も分からない。
双眼鏡の使い方も分からない方がほとんど。
だから、できるだけ分かりやすく、ゆっくり説明するようにしています。
鳥を見ることは、特別な人だけの趣味ではありません。
公園でも、川でも、身近な場所で楽しめるものです。
また、視覚障害のある方に、耳で鳥を楽しんでもらう取り組みにも協力しています。
高槻の神峯山寺で毎年5月に30年以上続いているもので、「これはこういう鳥が鳴いていますよ」と、鳥のさえずりなどを楽しんでいただいています。
姿を見るだけではなく、声を聞いて鳥を楽しむ。
そういう関わり方もあります。
4:大阪の鳥たちが生きる場所
―大阪という都市部において、野鳥たちはどのような環境で暮らしているのでしょうか?
納家さん:大阪では、都市公園、河川、湾岸部、里山など、いろいろな環境で鳥を見ることができます。
その中でも、大阪湾岸はとても重要です。
大阪湾は瀬戸内海の東端にあり、昔から渡り鳥のルートになっています。
渡り鳥は国境を越えて移動するので、一つの国だけで守れるものではありません。
渡りの途中には、休憩したり、餌を取ったりする場所が必要です。
大阪湾岸は、その大切な中継地の一つです。
―南港野鳥園も、大阪支部にとって重要な場所なのでしょうか?
納家さん:はい。南港野鳥園は、大阪支部にとって非常に大事な場所です。
人工干潟を作った場所で、日本の中でもかなり早い時期の取り組みです。
大阪湾の中でも、鳥がたくさん集まる場所になっています。
夢洲とも近い場所にあり、夢洲の環境が良かった時には、南港野鳥園にも多くの鳥が来ていました。
ただ、今は夢洲の状況が大きく変わり、その影響も出ています。
大阪湾岸全体をどう守るか。
そこが大きな課題です。
5:夢洲の変化と、渡り鳥たちの危機
―大阪の野鳥たちが現在直面している課題には、どのようなものがありますか?
納家さん:一番大きいのは、生息地が減っていることです。
大阪湾岸は昔から開発が進み、鳥が休んだり、餌を取ったりできる場所が少なくなっています。
特に夢洲は、かつて大阪で一番多く鳥が集まっていた場所でした。
でも、万博会場として整備され、今後の開発計画もあります。
現地の状況は大きく変わり、鳥の姿は本当に見る影もなくなってきています。
それから、気候の変化もあります。
夏の暑さ、台風や嵐の大型化、海面上昇による干潟の減少。
渡り鳥や水鳥は、そうした変化の影響を強く受けます。
6:増えている鳥もいる。でも、全体としては減っている
―日々の観察や調査を通じて、大阪の自然環境について感じていることはありますか?
納家さん:一部には、環境の変化に適応して増えている鳥もいます。
カラスなどは適応力がありますし、すべての鳥が減っているわけではありません。
ただ、全体として見ると、鳥の数はかなり減っています。
特に渡り鳥や水鳥は減少が大きいです。
その中でもシギやチドリの仲間が特に減少が著しいです。
私が鳥を見始めた頃は、大阪でもまだ結構見られました。
でも今は、本当に減っています。
「今のうちに見ておかないと、見られなくなるかもしれない」
そう感じるくらいの危機感があります。
7:大阪支部ならではの強み
―大阪支部ならではの特徴や、誇れる活動はどのようなところにあると感じていますか?
納家さん:やはり、探鳥会の数と継続性です。
府内を中心に年間220回ほど探鳥会を行い、延べ5,000人以上が参加しています。
これだけ続けていることは、大阪支部の大きな特徴だと思います。
それから、「むくどり通信」という会報誌も発行しています。
鳥の写真や特集記事、会員さんから寄せられた鳥の記録などを掲載しています。
大阪にどんな鳥が来ているのか。
その鳥たちが今、どういう状況にあるのか。
そうした記録を残し、伝えていくことも大切な活動です。
今年の4月からは、野鳥サロンを始めました。会員だけでなく一般の方にも事務所を開放し、鳥の図鑑や資料などを皆さんに閲覧いただけるようにしました。新たな出会いや交流の場となることを期待しています。
8:大阪支部の宝物「野鳥便覧」
―これまでの活動の中で、特に印象に残っている出来事はありますか?
納家さん:「野鳥便覧」の復刻版を作ったことです。
榎本佳樹さんという、大阪支部の大先輩がおられます。
今ではほとんど知られていませんが、日本で最初期の鳥の図鑑である「野鳥便覧」をつくられた方です。現在の鳥の図鑑には、この野鳥便覧に書かれた鳥のデータ(大きさ、くちばしの長さ、足の長さ、翼の長さなど)が引用されていることが多いんです。
ただ、「野鳥便覧」は上巻が1938(昭和13)年、下巻が1941(昭和16)年に当時の大阪支部が出版したのですが、どちらも500部しか作られておらず、戦前の発行ということもあり、大阪支部の事務所にも残っていなかった。
それが、2001(平成13)年に古い会員の方のご遺族から寄付をいただき、上巻と下巻が揃いました。
私が支部長になったのが2022(令和4)年で、翌年の2023年がちょうど榎本さんの生誕150年のタイミングでもあり、復刻版を作ろうということになりました。
―復刻版には、どのような面白さがあるのでしょうか?
納家さん:今の図鑑には書かれていないようなことが書いてあります。
鳥の味まで書かれているんです。
それから、鳥の鳴き声を聞いた時に人がどう感じるか、というようなことも書かれています。
絵もすべて榎本さん自身が描かれていて、死んだ鳥の絵ではなく、野外にいる時の姿が生き生きと描かれ、鳥の生息する環境なども表現されているんです。
戦前の書物なので、そのままでは読みにくい部分もありました。
そこで、今の中学生でも読めるように、ふりがなを振ったり、現代仮名遣いに表記を整えたりして復刻しました。
大阪支部の宝物を、今に残せたことは大きかったと思っています。
復刻版「野鳥便覧」について (日本野鳥の会大阪支部ホームページ参照https://wbsjosaka.com/bird/2024/03/07/enomoto-binran-hakkou-guide-20240307/ )
―保護活動の中で、印象に残っていることはありますか?
納家さん:泉大津の埋立地のことが強く印象に残っています。
若い頃、泉大津の埋立地にもたくさんの水鳥が来ていました。
そこを守ってほしいと声を上げた結果、小規模ではありますが、人工干潟がつくられました(泉北6区先端緑地人工干潟)。
実はまだ公園としての整備が20年ほど休止したままで、自由に立ち入ることができないのが残念ですが、シギやチドリなどの水鳥が来る場所を残すことができた。それは、自分の中で大きな出来事です。
9:服が、野鳥を知るきっかけになる
―アパレルやデザインなど、視覚的な表現を通じて野鳥の存在を伝えることについて、どのような可能性を感じますか?
納家さん:メッセージ性は非常にあると思います。
私たちもマークを作っています。
シンボルになるものがあると、ぱっと見て「こういう活動をしているんだ」と分かってもらいやすい。
日本野鳥の会大阪支部のモズのマークは、私が作ったものです。
大阪府の鳥がモズなので、ぱっと見て大阪支部だと分かるようなものを作りたいと思いました。
アパレルのように、普段身につけられるものにそういう表現が入ることで、鳥に関心を持つきっかけになると思います。
「あ、この人は鳥が好きなんだな」
「これはどういう活動なんだろう」
そういう会話が生まれることもあります。
普段バードウォッチングに触れていない人にも、関心を持ってもらえる可能性があると思います。
10:今日の鳥は、明日の人間
―最後に、10年後・20年後の大阪が、野鳥たちにとってどのような場所であってほしいか、そして読者の方へ伝えたいメッセージをお願いします。
納家さん:正直に言うと、かなり厳しいと思っています。
鳥にとってというより、人間が暮らしていけるのかという不安もあります。
「Today bird, tomorrow man」という言葉があります。
今日の鳥は、明日の人間という意味です。
鳥に起きていることは、いずれ人間にも関わってくる。
そういうことだと思います。
鳥は、一番身近にいる野生生物です。
公園にもいますし、川にもいます。
姿がきれいだったり、声がきれいだったりして、人間を楽しませてくれる存在でもあります。
そういう仲間を失いたくないんです。
鳥が住める環境を残すことは、結局、人間にとっても良いことです。
私にも孫がいます。
その世代に、「おじいちゃんが見ていた鳥は、もう全然見られないね」と言われるような未来にはしたくありません。
大阪湾は、渡り鳥にとって昔からのルートです。
夢洲をはじめ、大阪湾岸に、鳥が来られる場所をもっと広げていきたい。
自然を残し、鳥が戻って来られる環境を残していきたい。
それが、これからも続けていきたいことです。
大阪湾岸ネイチャーポジティブ
Nature Positive OSAKA BAY
絶滅の危機にある「ヘラシギ」をデザインしたものです
ヘラシギ 英名はSpoon-billed sandpiper
スプーンのようなくちばしをしたシギで、全世界で400羽程度しか
生息しておらず、最も絶滅の危機に瀕した鳥のひとつ。
日本には春と秋の渡りの季節にごく少数が干潟などに飛来する。
大阪湾では、夢洲や泉大津の埋立地、南港野鳥園などでの飛来記録がある
大阪湾岸でのネイチャーポジティブの活動をすすめることで、ヘラシギを
はじめとするシギやチドリなどの渡り鳥が飛来する環境をつくり、残したい
との思いでデザインしました。